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» あかがねの鉄路-わたらせ渓谷鐵道Photo Gallery
[ Film Year 2005-2007 ] 41Image Updating 2008-03-07
 旧国鉄足尾線を継続した「わたらせ渓谷鐵道」は、群馬県桐生から栃木県間藤までの44.1km結んでいます。その歴史は足尾銅山から産出される鉱石輸送のために、足尾鉄道が敷設した路線を1918年買収国有化され旧国鉄足尾線となったもの。足尾銅山最盛期には、国内の銅産出量の4割を誇りましたが資源の枯渇により1973年に閉山。その後も輸入鉱石の製錬が継続されましたが、1986年にさらに縮小され、足尾線による鉱石、精錬用の硫酸の輸送も廃止されました。銅山の衰退に伴ない足尾線の輸送量も減少し、1980年の国鉄再建法施行により1984年に第2次特定地方交通線に指定され、1989年にJR足尾線は「わたらせ渓谷鐵道」に転換されました。
わたらせ渓谷鐵道は、その名の通り渡良瀬川の上流の美しい渓谷に沿って走ります。利用者が多い桐生〜大間々間の区間列車を主に、鉱山や沿線景観を観光資源として、トロッコ列車の運転や水沼駅併設温泉センターの開設などの利用促進計画を行い順調な経営を行なっていたが、観光資源の陳腐化と沿線の過疎化、少子化による利用者減少により赤字転落に陥る三セク路線共通の問題を抱える。経営安定基金の枯渇に伴ない、大間々〜間藤間の列車減便と合わせ、沿線自治体を中心に利用促進のために「年間フリーパス・わたらせ夢切符」等の利用促進企画を行なったが「わたらせ夢切符」は通勤、通学定期券より割安なため、大半の利用者が「わたらせ夢切符」に流れてしまい、利益率を下げてしまう結果となり販売を終了。2007年度は「トロッコ列車」の乗客増と通勤・通学定期券収入の増加などの成果もあって通年黒字化、2007年5月の「わたらせ渓谷鐵道再生協議会」総会では、群馬県が赤字補填の予算は出さないが、省力化やサービス向上などのために、近代化設備費補助を支援するとの考えを示すなど、存続への明るい話題も多くなっています。
旧足尾精錬所 休止線 上神梅 上神梅
間藤 上神梅 間藤

 路線のハイライトは渡良瀬川の上流の美しい渓谷に沿って走る大間々〜間藤間に集約されています。何度も渓谷を渡りながら渡良瀬川を遡る。沢入までの沿線随所には桜が多く春には桜吹雪の中を、新緑の季節は萌える山、夏は深い緑の渓谷、渓谷が最も美しい紅葉の季節、そして季節の花々が彩りを添える。神土〜沢入間の草木トンネルを挟んで標高が高くなるため、季節は1週間ほど異なる。神土の桜が散ってしまっていても沢入の桜は満開、反対に紅葉は沢入が先。新緑と紅葉の季節は、沿線への観光客が多く訪れる季節。この時期は、3両編成の運転で乗客の増加に対応するが、この時期列車はかなり混雑する。冬場は残念ながら沿線全体がオフシーズンといった感じで人出も疎、稀に積雪がある時は雪景色の渓谷美を堪能できる。しかし、線路は谷筋にそってほぼ東西に進むため、紅葉時期から線路に日が入る時間帯と場所が限られてしまうのが残念。  緑化計画が進んだとは言え、最上流部の足尾近辺は過去の鉱毒(足尾鉱毒事件)による影響が残り禿山が続く。国鉄足尾線時代の1977年5月28日、故宮脇俊三氏が国鉄全線完乗を達成した間藤駅より先の休止線も残されている(観光用に延長計画があったが断念したため未開業線扱い)。線路に沿って歩くと間藤水力発電所跡、そして旧足尾精錬所に行き着く。 精錬所構内とトンネル手前に腕木信号が残され、日本鉱工業の光と陰かのように足尾鉱山の全容が産業遺跡のとなって目の前に現れる。足尾〜足尾本山間は史実と共に歩いてみると大変興味深い。沿線住民のマイレール意識も高く、駅や沿線に咲く四季の花々が爽やかな気持ちにさせてくれます。

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